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> “最後の仕法”は1人の若者に託された企画展「二宮尊徳と久保田譲之助」(2019.11)
“最後の仕法”は1人の若者に託された企画展「二宮尊徳と久保田譲之助」(2019.11)
12月1日(日曜日)から12月22日(日曜日)まで、文化活動交流館ギャラリーで、鹿沼まるごと博物館企画展「二宮尊徳と久保田譲之助―最後の仕法が拓いた未来―」を開催します。
郷土の偉人として小学校の社会科副読本に登場する久保田譲之助は、米がつくれず、麦ばかりを食べている地域という意味で“麦飯所”と呼ばれていた板荷村に、一本の用水路を開通させた人物です。その用水路は「久保田堀」の名で親しまれ、その流れは、現在も多くの田畑に水を運び、豊かな実りを板荷にもたらしています。
今回の企画展では、久保田譲之助、そして久保田が師事した二宮尊徳・尊行親子が鹿沼市内各地で行っていた復興事業について紹介します。鹿沼市内に残る数々の資料はもちろん、日光市・真岡市の関連資料なども展示し、彼らが鹿沼の人びとを救っていった足跡を辿ります。
会期中には二宮尊徳研究の第一人者による記念講演会や、ギャラリートークなど各種イベントも開催予定です。久保田堀通水から150年の記念すべき年に、鹿沼の人々に希望を与えた偉人たちが地域に何を残したのか、その思いや記録をじっくりとご覧いただきたいと思います。
郷土の偉人として小学校の社会科副読本に登場する久保田譲之助は、米がつくれず、麦ばかりを食べている地域という意味で“麦飯所”と呼ばれていた板荷村に、一本の用水路を開通させた人物です。その用水路は「久保田堀」の名で親しまれ、その流れは、現在も多くの田畑に水を運び、豊かな実りを板荷にもたらしています。
今回の企画展では、久保田譲之助、そして久保田が師事した二宮尊徳・尊行親子が鹿沼市内各地で行っていた復興事業について紹介します。鹿沼市内に残る数々の資料はもちろん、日光市・真岡市の関連資料なども展示し、彼らが鹿沼の人びとを救っていった足跡を辿ります。
会期中には二宮尊徳研究の第一人者による記念講演会や、ギャラリートークなど各種イベントも開催予定です。久保田堀通水から150年の記念すべき年に、鹿沼の人々に希望を与えた偉人たちが地域に何を残したのか、その思いや記録をじっくりとご覧いただきたいと思います。
担当課・問い合わせ先
文化課/0289-62-1172
掲載日 令和元年11月22日