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幻の廃線軌道

鹿沼市にはJR日光線、東武日光線の二つの線路が通っています。
ところが、もうひとつ線路があったのをご存じでしょうか。

実は、大正末から昭和初期にかけて、大谷(国本村岩原)で採掘した大谷石(岩原石)を国鉄鹿沼駅まで運ぶための石材専用軌道が存在したのです。昭和10年頃には廃線となりましたが、線路跡はしばらく残っていました。仁神堂町内にお住まいの方によると、昭和30年代頃まで大谷石敷きの線路跡が残っていて、友達の家に行くのにその道を通って行ったそうです。
今ではその跡はほとんど見られませんが、沿線に長く住んでいる方の中には覚えている方もいらっしゃいます。歩きながら地元の方に話を聞いてみてはいかがでしょう。

写真(1)地図に残る大谷から鹿沼への軌道
地図に残る大谷から鹿沼への軌道
(「今昔マップon the web」より作成)
現在明確にわかる廃線跡は、(1)武子と仁神堂の境にある杉林内、(2)錦鯉公園西、(3)錦鯉公園前~東、(4)宇都宮市田野町屋台収納庫隣、(5)宇都宮市岩原運動公園北の5カ所です。

写真(2)武子杉林内
武子杉林内

写真(3) 錦鯉公園西
錦鯉公園西

写真(4) 錦鯉公園前
錦鯉公園前

写真(5) 錦鯉公園東
錦鯉公園東

写真(6) 宇都宮市田野屋台収納庫隣
宇都宮市田野屋台収納庫隣

写真(7) 宇都宮市岩原運動公園北
宇都宮市岩原運動公園北

この軌道は大谷石材中野工業所が敷設したもので、小林清一郎氏が用地確保に着手、そこに新潟の石油王中野貫一氏の次男中野信吾氏が参画して輸送を開始しました。用地の確保については鹿沼市史にも記録が残っています。
鹿沼市内ではトロッコで石材を運んだため「トロ道」と呼んでいたようです。

輸送にはガソリンカーが使われ、宇都宮市岩原地内ではこの軌道跡を「ガソリン道」と呼ぶ人もいました。

写真(8)軌道を走っていたと思われるガソリンカー
軌道を走っていたと思われるガソリンカー
​​(土木建築工事書報大正14年12月号)
土木学会附属土木図書館資料より

大谷から鹿沼まで、ガソリンカーが大谷石を積んだ車両を引いてゆっくり走っている様子を想像しながら、その跡をたどりながら歩いてみませんか。
 
ライター Nakky

掲載日 令和3年4月8日 更新日 令和3年5月7日
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