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鹿沼市の城6「粟野城(鹿沼市口粟野)」

第6回は(あわ)野城(のじょう)を紹介したいと思う。

図(1)-粟野城全体図
図(1)粟野城全体図

粟野城は現「城山公園」内にある。
市民の方には、城跡というよりも「つつじの名所」や「城山スカイローラー」という大きなローラー滑り台の場所、と言った方がわかり易いかも知れない。
4月~5月初旬にかけての「つつじ祭り」には多くの市民が訪れ、スカイローラーは大人から子どもまで楽しめる人気の遊具だ。
筆者もかつて子どもたちを連れ、この滑り台を何回滑った事だろう。
 
さて、このつつじやローラー滑り台の隣山に、粟野城の遺構はある。

◆山頂の遺構
粟野城の遺構は、標高257mの山頂を中心に広がっている。
今から24年ほど前、筆者が栃木に転勤してきた際は、草が生い茂る非常に荒れた山であった。
しかし最近、地元の方々の努力により、草も刈られ、非常に眺めが効く場所になった。
山頂には、戦時中の防空監視哨(敵機の来襲を監視し、航空隊や高射砲隊に素早く伝達し、戦闘準備完了までの時間を稼ぐ役目)の跡が残っている。

写真(1)-防空監視哨跡
写真(1)防空監視哨跡

よって、戦時中にこの山は、かなり遺構破壊を受けたと考えられ、山頂付近の曲輪のように見える図(1)-B付近の遺構は、中世の物か、戦時中の工事で均された跡なのか断言できない。
しかし、近代の防空監視哨にも現れるように、細い山頂部分は監視の役目が主だったと思われる。
そこで筆者は、城の主要人の詰める場所は、写真(2)の主郭南の谷間の平坦地だったのでは、と考えている。(図(1)では(本丸)と記載)
この場所は、東西の尾根に囲まれる広い空間であり、山頂部と違い、強い風雨も避けられただろう。
また、図(1)-Eの尾根の堀切は、三重堀切であり、栃木県内では珍しい遺構となっている。
調査した2017年当時は、三列に並ぶ堀切&竪堀が、綺麗に残っていた。
興味のある方は、是非確認していただきたい。

写真(2)-主郭南の谷間の平坦地※図(1)の(本丸)
写真(2)主郭南の谷間の平坦地

写真(3)-E尾根三重堀切、二番目南側の竪堀
写真(3)E尾根三重堀切、二番目南側の竪堀

◆山麓の曲輪
粟野城のもうひとつの特徴は、山麓谷間の遺構である。
まず、図(1)-Aの谷間であるが、ここは城山公園の駐車場に繋がっている。
ここは、先ほどの主要部(本丸)から延びる谷間でもある。
おそらく、ここも居住場所と思われるが、近代に均されてしまったのか、遺構と確信できる物が少ない。

写真(4)-図(1)Aの谷間現況
写真(4)図(1)Aの谷間現況

次にA谷の隣、図(1)―Fの谷間に着目してもらいたい。
谷の中に二段の平坦地を作り、両サイドの尾根から竪堀を落とす構造を取っている。
特徴的なのは上段の曲輪の入口で、図(2)のような「くい違い虎口」を構えている。(曲輪:人工的に作られた削平地、虎口:城の入口の事)

図(2)-Fの谷 くい違い虎口
図(2)Fの谷くい違い虎口

図(3)-くい違い虎口・イメージ図
図(3)くい違い虎口・イメージ図

図(3)のイメージ図をご覧いただきたい。
くい違い虎口は、ラインの違った土塁、堀、または切岸(削った段のこと)を交差させる事により、虎口が隠れる効果がある。
城門が正面に向いているよりも、敵が門に達するまでの距離、時間を稼げる為、城方は、攻撃チャンスを増やす事が期待できる。
戦国合戦のテレビ・映画で、攻め側が大きな丸太などで城門に突進するシーンを見かけるが、くい違い虎口だと直線的に突進しづらいだろう。
栃木県の事例としては、唐沢山城にも同様な遺構が見られるが、県内としては珍しい遺構だと思う。
さて、Fの谷は、筆者調査当時、なにしろ草深かった。
もし見学を試みる方がいらっしゃるのであれば、十分気をつけて臨んでいただきたい。

図(4)-城の位置(国土地理院地図)
図(4)城の位置 
  
※筆者は栃木県の城に関するホームページを開設している。
乱暴なホームページではあるが、興味のある方は是非ご覧いただきたい。
URLは、http://saichu.sakura.ne.jp/tochigitop.html(新しいウィンドウが開きます)である。
 
 

ライター 縄張りくん


<編集部より>
本コラムは、趣味として長年、城の構造(縄張り)を調査している縄張りくんが、鹿沼市の魅力の一つとして、市内の縄張りを紹介してくれています。
あくまで、縄張りくん個人の見解に基づくものですので、ご承知おきください。

掲載日 令和3年10月21日

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