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鹿沼市の城8「滝尾山城(鹿沼市下南摩町・西沢町)」

図1-滝尾山城縄張り図(上が北)
図1-滝尾山城縄張り図(上が北)

鹿沼は城の宝庫である。
第8回目は、滝尾山城を紹介したい。
今回の滝尾山城は、山頂と山麓部、そして平野部の城の三つが塊となった城である。
筆者が訪れた栃木県の城の中でもトップクラスの城と言える。
通常、山麓と山頂がセットとなった城というのは、山頂が詰の城で、山麓の平地部分に居住の為の城(居館と言ったほうが、イメージが沸きやすいか)を築くパターンが多い。
しかし、滝尾山城は図1のように、山麓には山麓の城があり、山頂は山頂の城があり、そこにもう一つ、平野部の城が存在するのだ。
栃木県内で一箇所に三つの城が存在するところは、ここだけかもしれない。
 
■山麓の城
標高170mの小丘に城はある。
図2のように、城の麓から主郭へ達するまでの登城路の廻し方が複雑で、巧みである。
城下から幾度となく道をクランクさせ、枡形虎口(道を城門内でクランクさせる虎口)を使う。
途中には、おそらく木橋をかけたであったろう跡も見受けられる。
 
図2-山麓の城の登城路
図2-山麓の城の登城路
 
図1のように、“山頂の城”と続く尾根には、四重の堀を配し、尾根続きを断絶している。
とにかく山続きを嫌っていた事がわかる。
このことから、山麓は“山麓の城”として独立して機能させており、“山頂の城”との連携は希薄だったと考える。

写真1-山麓の城の空堀
写真1-山麓の城の空堀

山頂の城
郷土史では、滝尾山城主と言われる南摩氏が、戦国期、山上に「新城」を築いたとされている。
それが当地であろうと思われる。
図1で、“山頂の城”は“山麓の城”に比べ、明らかに個々の曲輪(人工の削平地)が大きくて、広い事がお分かりになると思う。
“山麓の城”とは大きく異なる設計思想を持っていたと言える。
“山麓の城”は小さな曲輪に少人数の城兵を配置し、それを幾重にも重ねる防衛構想が伺える。
それに対し“山頂の城”は、曲輪配置を単純にし、大きな曲輪に大勢の人を集め、大きな攻撃力を持たせる構想だったようだ。
一般的に近世に近づくにつれ、城は曲輪取りが大きくなる傾向がある。
戦国期に城主南摩氏は最終的に壬生氏に従うが、壬生氏は後北条氏との関係が濃い。
よって築城術が後北条氏の手法を継承していた可能性もある。
また、“山麓の城”に続く尾根であるが、“山頂の城”側も堀切や枡形虎口を連続させており、“山麓の城”との連携を嫌っている事が分かる。

平野部の城
「平野部」という表現が正しいかどうか分からないが、山頂、山麓の城の懐に抱かれた所謂“居館部”と思われる遺構だ。
“山頂の城”“平野部の城”との間には、竪堀状の通路痕が見られる。
お互いが繋がりを持っていた証拠である。
“平野部の城”には広く削平された平坦地が数段確認できる。
近代の耕作跡なのでは?と思われてしまいそうだが、城の一部だったと言える決定的な証拠がある。
それが山腹に残る「竪堀」だ。

写真2-平野部の城山腹の竪堀
写真2-平野部の城山腹の竪堀
 
図3-平野部の城山腹の竪堀イメージ図
図3-平野部の城山腹の竪堀イメージ図
図3-平野部の城山腹の竪堀イメージ図

図3のように、居館部を守るように南側の山腹に竪堀を落としている。
その流れで、堀が谷を横断していたと考えられる。
北側は沢が堀の役目をしていたのだろう。
 
敵がこの城を攻める場合、居館前までは、なんとか迫れるだろう。
しかし、回り込もうとすると、先ほどの竪堀によって侵入を邪魔される事となる。
中に入ろうと四苦八苦する間に、城内兵に狙い撃ちされてしまうからだ。(図3イメージ図)
このような谷間の居館部で、竪堀を落とすパターンは、第1回の諏訪山城、諏訪山北城、第6回の粟野城にも類例が見られる。

考察
さて、ここまで滝尾山城を見てきたが、冒頭にも記したが、“山麓の城”が独立しているように見えるのはどうしてなのか?を考えたい。
まず、単純なのは時代差である。
“山麓の城”を廃城とし、その後、山上の「新城」=“山頂の城”を使うようになったとする考え方だ。
しかし筆者は、“山上&平野部の城”で敵と戦いを挑んでも、“山麓の城”で挑んでも、お互いの被害を伝播させまいとする意思があったのではないか、と推測している。
どちらかが陥落しても、どちらかで防戦しようと考えたのではなかろうか。
これら三つの城は最後の最後まで一緒に機能し、命運を共にしていたと考えたい。
 
 
以上、滝尾山城の遺構を見てきたが、この城は残存状態も良く、見応えがあり、非常にわかりやすい。
ハイキンキングコースもある。
山麓-山頂-平野部と巡ってみるのも良いだろう。
ただし調査当時、山頂から“平野部の城”へは、道がちゃんと整備されていなかったのでご注意願いたい。
 
鹿沼は本当に素晴らしい。
以上。
 
◆城の位置図(国土地理院地図)
城の位置図(国土地理院地図)

※参考文献:鹿沼市の城と館(鹿沼市業書7)2002年鹿沼市史編さん委員会
※筆者は城に関するホームページを開設している。
乱暴なホームページではあるが、興味のある方は是非ご覧いただきたい。
URL:http://saichu.sakura.ne.jp/tochigitop.html(新しいウィンドウが開きます)

<編集部より>
本コラムは、趣味として長年、城の構造(縄張り)を調査している縄張りくんが、鹿沼市の魅力の一つとして、市内の縄張りを紹介してくれています。
あくまで、縄張りくん個人の見解に基づくものですので、ご承知おきください。


ライター 縄張りくん
 
 

掲載日 令和4年1月16日

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