粕尾峠をめぐる3つの歴史―牧場・鉄索・道路改良―
鹿沼の峠
山に囲まれた鹿沼には、粕尾(かすお)峠、古峰ヶ原(こぶがはら)峠、小川沢(おがわざわ)峠、象間(ぞうま)峠、栗沢(くりざわ)峠などたくさんの峠があります。
今は自動車が当たり前となり、あっという間に通り過ぎてしまう峠ですが、近代までは人々の往来・交通の要所となってきました。
今回は、鹿沼の西端・上粕尾(かみかすお)と銅山で知られる足尾(日光市)の中心を結ぶ粕尾峠(1,100メートル)に関わる歴史をご紹介します。
鹿沼市街地から車で大芦川沿いに西へ行き、まずは、「天狗の社」で知られる古峯神社を目指します。神社で一休みしたら、古峰ヶ原峠を越え、山道をどんどん進んでいきます。
前日光牧場を左手に、さらに進むと泉があちこちに湧いているのか、霧が立ちこめて幽玄な世界が広がってきます。奈良時代からこの辺りは修験道の地として知られていますが、納得できる光景です。「粕尾」、「足尾」、「細尾」(日光市)、「寺尾」(栃木市)など、地名に「尾」がついているのは、修験者たちが峯修行の通路としていたことを示しているといわれています(1)。
栃木県初の本格的な牧場
この粕尾峠周辺には、ユニークな歴史があります。
1876(明治9)年、上粕尾の発光路(ほっこうじ)に後の上都賀郡長・安生順四郎(あんじょうじゅんしろう)(1847~1928)が北海道から40頭の乳牛を導入し、横根山麓に放牧したのです(2)。上都賀地方で初となる本格的な牧場でした。
1897(明治30)年頃からは古峰ヶ原高原と横根山高原一帯が牧場となり、春から秋にかけて百数十頭の牛の群れがあちこちに散らばり、草を食べていました(3)。
栃木県立図書館に所蔵されている『下野国上都賀郡粕尾村大字上粕尾地内保晃林概算面積弐千四百四拾町歩』(時期不詳)という史料を見ると、横根山の広大な範囲が牧場地となっていることがわかります。
▲『下野国上都賀郡粕尾村大字上粕尾地内保晃林概算面積弐千四百四拾町歩』(時期不詳、栃木県立図書館蔵)
泉が湧き、草が生い茂っているこの辺りは、牛たちにとって快適な場所だったことでしょう。「春から秋にかけて牛が集まり、風光の良い自然の中にのんびりと草をかみ、毎夕、番人のホッホーという声と板を打つ音に、塩とふすまの食がもらえるものと遠く近くの斜面から駆けよってくる牛の群れを見るのも壮観」(4)だったそうです。
現在は粕尾峠近くの前日光牧場で牛たちが放牧されている様子を見ることができます。
足尾銅山からのロープウェイの拠点に
粕尾峠は鹿沼と足尾をつなぐもっとも古いルートといわれています。このため、足尾銅山が開発されると粕尾峠は、燃料や食料の補給路となっていきます。
例えば、上粕尾の山の神には、「テッサク」という屋号の家があったようです(5)。「テッサク」とは、「鉄索」。つまり、現在のロープウェイのことです。
1877(明治10)年に古河市兵衛(ふるかわいちべえ)が経営に乗り出した時、足尾銅山の産銅量は46トンだったのが、1883(明治16)年には653トンに急増し、輸送力の増強が喫緊の課題でした。
輸送問題を打開するために古河鉱業は、1890(明治23)年10月、地蔵坂から細尾間に日本で初めての鉄索を導入します。1896(明治29)年には、足尾と粕尾間に鉄索が設けられ、粕尾の材木や木炭が運搬されるようになります。こうして粕尾峠は、足尾の活況に一役買ったのでした。
粕尾峠に建つ戦後の碑
さて、粕尾峠に一つの碑が建っています。
「峠越ふ馬を停めて穐(あき)を観る」
足尾町議会議長として粕尾峠の自動車道化に尽力した酒井善太郎の句碑です。
1947(昭和22)年のカスリン台風と翌年のアイオン台風のため、足尾線(現在のわたらせ渓谷鉄道)と日足(にっそく)道路が破壊され、足尾は陸の孤島となってしまったのです。そこで、酒井ら町の有志は、粕尾峠が自動車道路となれば、足尾の事情も改善されると考え、道路改良を求める声を上げます。
粕尾や粟野の人たちも呼応して、県知事に要請し、1948年に着工し、4年半後の1953年6月に完成しています。句碑は、病気を顧みずに馬の背に乗って工事状況を見ていた酒井を偲んで、町の有志が建てたものです(6)。
人々の往来を見守ってきた鹿沼の峠。
あなたもここに暮らした人たちに思いをはせながら、巡ってみてはいかがでしょうか。
〇記事で紹介した場所
〔粕尾峠〕 栃木県鹿沼市上粕尾
〔古峯神社〕栃木県鹿沼市草久3027
〔前日光牧場〕栃木県鹿沼市上粕尾1936
参考・引用文献
(1)(5)東洋大学民俗研究会『昭和四十八年度調査報告粕尾の民俗―栃木県上都賀郡粟野町旧粕尾村―』1974年
(2)矢澤好幸「栃木の牛乳飲用は金谷ホテルから」『酪農ジャーナル』2016年9月号、酪農学園大学
(3)(4)(6)藤田敏雄『足尾ところどころ足尾の歴史と風土』1975年、足尾町公民館
※『下野国上都賀郡粕尾村大字上粕尾地内保晃林概算面積弐千四百四拾町歩』は、栃木県立図書館から掲載許可を受けました。
山に囲まれた鹿沼には、粕尾(かすお)峠、古峰ヶ原(こぶがはら)峠、小川沢(おがわざわ)峠、象間(ぞうま)峠、栗沢(くりざわ)峠などたくさんの峠があります。
今は自動車が当たり前となり、あっという間に通り過ぎてしまう峠ですが、近代までは人々の往来・交通の要所となってきました。
今回は、鹿沼の西端・上粕尾(かみかすお)と銅山で知られる足尾(日光市)の中心を結ぶ粕尾峠(1,100メートル)に関わる歴史をご紹介します。
鹿沼市街地から車で大芦川沿いに西へ行き、まずは、「天狗の社」で知られる古峯神社を目指します。神社で一休みしたら、古峰ヶ原峠を越え、山道をどんどん進んでいきます。
前日光牧場を左手に、さらに進むと泉があちこちに湧いているのか、霧が立ちこめて幽玄な世界が広がってきます。奈良時代からこの辺りは修験道の地として知られていますが、納得できる光景です。「粕尾」、「足尾」、「細尾」(日光市)、「寺尾」(栃木市)など、地名に「尾」がついているのは、修験者たちが峯修行の通路としていたことを示しているといわれています(1)。
栃木県初の本格的な牧場
この粕尾峠周辺には、ユニークな歴史があります。
1876(明治9)年、上粕尾の発光路(ほっこうじ)に後の上都賀郡長・安生順四郎(あんじょうじゅんしろう)(1847~1928)が北海道から40頭の乳牛を導入し、横根山麓に放牧したのです(2)。上都賀地方で初となる本格的な牧場でした。
1897(明治30)年頃からは古峰ヶ原高原と横根山高原一帯が牧場となり、春から秋にかけて百数十頭の牛の群れがあちこちに散らばり、草を食べていました(3)。
栃木県立図書館に所蔵されている『下野国上都賀郡粕尾村大字上粕尾地内保晃林概算面積弐千四百四拾町歩』(時期不詳)という史料を見ると、横根山の広大な範囲が牧場地となっていることがわかります。
▲『下野国上都賀郡粕尾村大字上粕尾地内保晃林概算面積弐千四百四拾町歩』(時期不詳、栃木県立図書館蔵)
泉が湧き、草が生い茂っているこの辺りは、牛たちにとって快適な場所だったことでしょう。「春から秋にかけて牛が集まり、風光の良い自然の中にのんびりと草をかみ、毎夕、番人のホッホーという声と板を打つ音に、塩とふすまの食がもらえるものと遠く近くの斜面から駆けよってくる牛の群れを見るのも壮観」(4)だったそうです。
現在は粕尾峠近くの前日光牧場で牛たちが放牧されている様子を見ることができます。
足尾銅山からのロープウェイの拠点に
粕尾峠は鹿沼と足尾をつなぐもっとも古いルートといわれています。このため、足尾銅山が開発されると粕尾峠は、燃料や食料の補給路となっていきます。
例えば、上粕尾の山の神には、「テッサク」という屋号の家があったようです(5)。「テッサク」とは、「鉄索」。つまり、現在のロープウェイのことです。
1877(明治10)年に古河市兵衛(ふるかわいちべえ)が経営に乗り出した時、足尾銅山の産銅量は46トンだったのが、1883(明治16)年には653トンに急増し、輸送力の増強が喫緊の課題でした。
輸送問題を打開するために古河鉱業は、1890(明治23)年10月、地蔵坂から細尾間に日本で初めての鉄索を導入します。1896(明治29)年には、足尾と粕尾間に鉄索が設けられ、粕尾の材木や木炭が運搬されるようになります。こうして粕尾峠は、足尾の活況に一役買ったのでした。
粕尾峠に建つ戦後の碑
さて、粕尾峠に一つの碑が建っています。
「峠越ふ馬を停めて穐(あき)を観る」
足尾町議会議長として粕尾峠の自動車道化に尽力した酒井善太郎の句碑です。
1947(昭和22)年のカスリン台風と翌年のアイオン台風のため、足尾線(現在のわたらせ渓谷鉄道)と日足(にっそく)道路が破壊され、足尾は陸の孤島となってしまったのです。そこで、酒井ら町の有志は、粕尾峠が自動車道路となれば、足尾の事情も改善されると考え、道路改良を求める声を上げます。
粕尾や粟野の人たちも呼応して、県知事に要請し、1948年に着工し、4年半後の1953年6月に完成しています。句碑は、病気を顧みずに馬の背に乗って工事状況を見ていた酒井を偲んで、町の有志が建てたものです(6)。
人々の往来を見守ってきた鹿沼の峠。
あなたもここに暮らした人たちに思いをはせながら、巡ってみてはいかがでしょうか。
〇記事で紹介した場所
〔粕尾峠〕 栃木県鹿沼市上粕尾
〔古峯神社〕栃木県鹿沼市草久3027
〔前日光牧場〕栃木県鹿沼市上粕尾1936
参考・引用文献
(1)(5)東洋大学民俗研究会『昭和四十八年度調査報告粕尾の民俗―栃木県上都賀郡粟野町旧粕尾村―』1974年
(2)矢澤好幸「栃木の牛乳飲用は金谷ホテルから」『酪農ジャーナル』2016年9月号、酪農学園大学
(3)(4)(6)藤田敏雄『足尾ところどころ足尾の歴史と風土』1975年、足尾町公民館
※『下野国上都賀郡粕尾村大字上粕尾地内保晃林概算面積弐千四百四拾町歩』は、栃木県立図書館から掲載許可を受けました。
ライター 福田 耕
掲載日 令和3年5月6日
更新日 令和3年5月11日
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