【医王寺】~粟野 夢咲く アートフェスティバル~
芸術の秋
自然豊かな粟野の里で、
『粟野夢咲くアートフェスティバル』が開催されました。
詳細はこちらhttps://awanoartfestival.com/
各会場では絵画や彫刻など11人の作家による芸術作品が展示されていました。
▲主催者の田中茂先生と
「AWANO夢咲くART FESTIVALは、2016年に鹿沼市立粟野中学校に赴任した美術教師が、生徒達に本物の作品を見せたい、作家とともに作品鑑賞会をしたいという思いから始まり、今に至っています。」(ホームページより引用)
主催者の田中先生は、鹿沼市内の中学校で美術の教員をなさっています。
ご自身も彫刻作品を「AWANO夢咲くART FESTIVAL」(以下、アートフェスティバルとする)に展示されていました。
多方面で活躍なさっている田中先生に、美術を教えてもらった方も、たくさんいるのではないでしょうか。
今回は、アートフェスティバルの会場の一つ、『医王寺』に焦点を当てて取材をしました。
私は医王寺に行った事が今まで一度もなく、鹿沼にあることも知りませんでした。
今回のアートフェスティバルで医王寺を初めて知った私は、あまりにも素晴らしい境内や建物に衝撃を受けました。
まるで京都のようでした。
敷地に足を踏み入れた瞬間、今年の初めに旅行をした京都のお寺を思い出しました。
こんなにも素晴らしいお寺が鹿沼にある事を知って、まだ知らない人達にも医王寺を知ってほしいという気持ちが芽生えました。
せっかく素晴らしいイベントが開催中なので、医王寺とアートフェスティバルの両面からお伝え出来ればと思いました。
アートフェスティバルの会場で医王寺のご住職にお会いすることが出来たので、さっそく取材を申し込んだところ、突然の申し出にもかかわらず快くお受けくださいました。
まずはそんな気さくなご住職からご紹介します。
医王寺住職のお名前は田戸大智(たどたいち)さん
神奈川県生まれの東京育ちとのことです。
勝手な思い込みで、地元出身の方が代々跡を継いでいると思っていたので、少しびっくりしました。
お話を聞いていて気がつきましたが、ご住職には栃木なまりがありません。
▲アートフェスティバル中は医王寺でマルシェも開催していて、カレーのキッチンカーがきていました。ご住職も買われていました。
ご住職は、おじい様が医王寺の二代前の住職だったため、子供の頃から鹿沼に来ることが多かったそうです。
医王寺の境内や建物は馴染みの場所となり、近所の方々とも触れ合う機会が多く、住職となって鹿沼に来た時も、自然とこの地に馴染めたそうです。
とても話しやすいご住職なので、たくさん医王寺についてお聞きできました。
続いて、医王寺についてご紹介します。
医王寺は、旧粟野町の鹿沼市北半田にあります。
県道307号線を車で走行していると、医王寺の石碑が見えてきます。
▲この石碑の東に向かった県道沿いに駐車場があります。
(足の不自由な方は、石碑の脇にある側道を車で登って行くと駐車場があるので、そちらが利用出来ます。)
県道沿いの駐車場に駐車したら、石碑のある場所から階段を登って行きます。
▲階段を登って行くと、仁王門が見えてきます。
仁王門の左右には金剛力士立像があります。
(栃木県指定有形文化財:鎌倉時代13世紀)
▲近くに行ってみると、ただならぬ雰囲気を漂わせています。
少し怖いな...と思ったこちらの金剛力士立像、二体のうちこちらは「あ」の形に口を開いた「阿形像(あぎょうぞう)」です。
▲こちらは「うん」の形に口を閉じた「吽形像(うんぎょうぞう)」です。
二体が一対となり、お寺の入り口を守っています。
ここでお寺と神社の違いを説明します。
ご住職からいただいた小学生向け資料「医王寺Q &A」によれば、仏様をまつり山門や仁王門があるのがお寺で、神様をまつり鳥居があるのが神社です。
▲この「医王寺Q &A」は、医王寺の事がとても分かり易く書かれたプリントです。
私もこのプリントのおかげで、すぐに理解する事ができました。
ご住職は大学の非常勤講師もなさっているので、教えるのがとても上手です。
話の内容がとても分かり易いので、どんどん質問をしてしまいました。
さて、仁王門をくぐり屋根を見上げるとそこには立派な鬼瓦がありました。
▲これが鬼瓦です。
"鬼の形相"とはまさにこの顔ですね。
すごく強そうなオーラが漂っています。
正面とこちらの裏側のどちらにも鬼瓦が屋根に乗っていました。
仁王門の裏側には狛犬(こまいぬ)も設置されています。
▲こちらの狛犬は「あ」の口の形です。
▲こちらの狛犬は「うん」の形に閉じています。
金剛力士立像と同じように、二体が一対となり
『阿吽の呼吸』で入り口を守っています。
さらに歩いて行くと...
▲左手側に数体のお地蔵様がまつられていました。
これらは「六地蔵」と呼ばれています。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道
これら六つの世界は「六道」と呼ばれ、人は亡くなると生前の行いを元に行き先が分かれるとされています。
六地蔵はその苦しみを救い、良い世界に生まれ変わることを願って建てられています。
さらに歩いて行くと左側には、
▲地蔵菩薩坐像(栃木県指定有形文化財:江戸時代・寛政9年1797年)があります。
そして前方には、ひときわ存在感のある赤い建物がありました。
▲金堂です。(栃木県指定有形文化財:江戸時代元禄11年宝永4年1698年1707年)
お寺の中心となる金堂、圧巻です。
こちらの金堂を詳しく見てみたいと思います。
▲こちらは、金堂の床下です。
屈んでみると、急に空気が変わったかのように感じます。
静まり返った縁の下は、厳かな雰囲気です。
向こう側の景色も遥か彼方に感じられます。
修繕を繰り返した土台はさらに強度が増してしっかりとしていて、上の建物をどっしりと支えていました。
金堂を見上げてみると
▲金堂の扁額の下に彫刻を見つけました。
彫刻はぐるりと壁一面に彫られていました。
ご住職にお聞きしたところ、これらの彫刻は
「二十四孝(にじゅうしこう)」と言って、24人の人物の孝行の話が彫刻で表現されているそうです。
こちらは24人の人物のうちの1人「楊香(ようこう)」です。
楊香には1人の父がいた。
ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。
楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。
(Wikipediaより引用)
なんの絵かな?と思いながら見ていた彫刻も、この話と照らし合わせながら見ると、とても感慨深いです。
「二十四孝(にじゅうしこう)」には、
他にも一つ一つ物語があるので、ぜひ物語と照らし合わせながら鑑賞してみてください。
話が変わりますが、医王寺の境内は自由に散策ができます。(※建物内は普段は公開していません)
私も散策がてら、物語と彫刻を照らし合わせにまた来てみたいなと思いました。
金堂は写真のように、建物の彫刻や色彩が素晴らしいですが、茅葺き屋根も見事です。
今ではなかなか見る事がない茅葺き屋根。
これだけ素晴らしい茅葺き屋根はどう維持されているのだろうかとメンテナンスが気になったので、ご住職と奥様から話をお聞きしました。
全面的な茅葺き屋根の葺き替えは30~40年ごとに行われ、5~10年の間に部分的な修理をします。
これを「差し茅葺」と言い、表面の腐った部分の取り替えをします。
奥様から差し茅葺の様子を見学したときの話をお聞きしました。
職人さん手作りの木の用具を茅葺き屋根の腐った部分に差し込み、用具を広げて腐った部分を引っ張り出します。
引っ張り出した場所に新しい藁を差し込み、出っ張った部分をハサミで切り落とします。
そしてまた別の木の用具で、切り落とした部分を押して整えるそうです。
(用具の写真を見せてもらいましたが、木でできている用具は文化財になりそうな貴重な物に見えました。)
茅葺き屋根の修繕をしている職人さんの様子を、私も見てみたかったです。
金堂の茅葺き屋根は4年計画で修繕中。
現在2年目が終了し、西側の屋根部分が終わったそうです。
▲修繕が終わった西側の茅葺き屋根。
よく見ると、色が変わっていることに気づきます。
修繕費用は約4,600万円かかっているそうです。
(県と市から補助金がおりますが、全額ではないため、自己負担も大きいです)
ところで茅葺き屋根の写真を拡大すると、屋根の四方に鬼がいました。
鬼は4色に色分けされています。
古代中国では、東西南北の四方を守る神を「四神(しじん)」と言い、日本に伝えられました。
東は青龍(青)、西は白虎(白)、南は朱雀(赤)、北は玄武(黒)とされた事から、鬼の色がこのように色分けされています。
鬼の口元を見てみると、仁王門の金剛力士立像や狛犬同様、口を開けている「阿形」と口を閉じている「吽形」になっています。
やはり金堂も二体一対で像が飾られていました。
▲金堂の後ろ側からの景色も素敵です。
重厚感があり、正面から見るよりも落ち着いた感じに見えました。
さて、金堂をあとにすると、左奥に弘法大師堂(栃木県指定有形文化財:江戸時代貞享3年(1686))の建物が見えました。
正面には、獅子?らしき像が前後で2体ずつありました。
やはり口元は、「阿形」と「吽形」でした。
こちらの弘法大師堂には弘法大師坐像(栃木県指定有形文化財:鎌倉時代南北朝時代14世紀)が安置されています。
▲詳しくはこちらの資料に載っています(住職提供)。
弘法大師堂の正面に飾られている言葉です。
「たとえ一人で歩いてもいつも大師様が見守り、共に歩んでいるので二人連れ」という意味の歌が飾られています。
▲色褪せた柱も趣があります。
床下を見ると蟻地獄がありました。
子供の頃、近所の神社に蟻地獄があった事を思い出しました。
神社やお寺の床下にはなぜ蟻地獄があるのだろう?
少し疑問に思いながらも懐かしい気持ちになりました。
次に、弘法大師堂の隣にある地蔵堂です。
正確な建立時期は分かっていませんが、江戸時代に建立されたようです。
近くには「六地蔵」もありました。
そして、さらに歩いて行くと、立派な茅葺き屋根の建物がありました。
▲唐門です。(栃木県指定有形文化財:江戸時代宝暦3年 1753年)
「医王寺Q&A」にも書いてありましたが、仁王門が第一の門だとすれば、唐門は第二の門です。
唐門の柱には干支や、鳳凰(中国の神話の鳥)、松、そして、植物が描いてありました。
天井の絵も鮮やかで素晴らしいです。
唐門にも「阿形」と「吽形」の彫刻が二体一対でありました。
獅子?と獏(ばく)?の像でしょうか。
こちらも、色鮮やかなブルーが引き立っていました。
裏側から見た唐門です。
こちら側は茅葺き屋根が強調されて見えます。
▲アートフェスティバル中は、和太鼓ユニット【yoluca】さんがゲリラ演奏をしていました。
この日は少し曇り空でしたが、和太鼓の重厚な音色が医王寺の境内に響き渡りました。
唐門の背景が和太鼓とぴったりマッチしていました。
yolucaの皆さんが被っているお面は、リーダー小沼さんの作品です。
太鼓の一部も手作りで、演奏した曲も作曲されたそうです。
さらに会場の一つである旧粟野中学校には、ご自身の彫刻作品も展示されていました。
yolucaのメンバーの方々ともお話しさせていただきましたが、みなさんとてもお人柄が良く、演奏する姿も体全体を使って表現していて素晴らしかったです。各地で演奏をされているようで、生き生きとお話されていました。
お話ししていて、とても良い刺激になりました。
▲演奏時に被っていたお面(yoluca小沼さんの作品)です。
続きまして、赤門です。(江戸時代:元文2年1737年)
今までの建物は、小高い山を登って行くように建っていて、登りきると赤門があります。(下記写真)
赤門をくぐると、それまでの自然豊かな境内とは違った世界が広がります。
▲客殿です。(栃木県指定有形文化財:江戸時代貞享5年1688年)
客殿は、大切なお客様をお迎えするための建物です(医王寺Q &Aより)。
普段は一般公開していませんでしたが、アートフェスティバルの期間中は公開されていました。
客殿には、日本画家秋葉麻由子さんの作品が展示されていました。
あまり色を使わない墨色を基調とした作品で、和のテイストがありながら現代的で素敵な作品でした。
廊下から客殿に入ると、すぐ左手の襖に気がつきます。
「黒塗椽杉板襖絵(くろぬりぶちすぎいたふすまえ)」です。
(栃木県指定有形文化財)
6枚は栃木県立博物館に保管されていて、3枚はこの医王寺に現在も飾られています。
▲講堂にある襖絵
3枚の内、2枚しか写真が撮れませんでしたが、一目見ただけで古く歴史ある絵画であることが分かります。
思いがけず貴重な絵画を見る事が出来て、とても感動しました。
あと1枚の襖絵も、いつか見る事ができますように。
次に客殿から外を見ると、医王寺の数ある文化財の中で最近鹿沼市文化財に指定されたものがありました。
▲半鐘です。(平成30年1月18日指定、鹿沼市指定有形文化財)
医王寺にある文化財は、栃木県の文化財が30件と鹿沼市の文化財が4件あります。
とても多くの文化財があるお寺という事にもびっくりしました。
地元である鹿沼市に住んでいても、知らない事がまだまだたくさんあります。
本当に勉強になります。
半鐘の脇にある廊下を歩いて行くと、
講堂があります。(栃木県指定有形文化財:江戸時代正保2年元録5年1645年1692年)
講堂では絵画の展示がされていました。
講堂の正面入り口から入ってみました。
広い座敷にはとても大きな絵が飾ってあります。
▲鹿沼市の画家渡辺ふくさんの作品です。
渡辺さんは屋久島をはじめ、自然界の木や草花・虫などをモチーフとした絵を描かれています。
ご自身も鹿沼市の山間の地域で育ったので、その思い出なども絵に表現されています。
よく見てみると、絵の中に動物を見つけました。
どんな動物がいたか、みなさんはお分かりになりましたか?
▲こちらの絵は、自然界の色に溶け込んでいて動物がすぐには見つかりませんでしたが、よく見ると...
見えましたか?
▲午後には和太鼓ユニットyolucaさんによる2回目のゲリラ演奏が渡辺さんの絵の前で行われました。
渡辺さんの絵の雰囲気とyolucaさんの和太鼓演奏が、互いに作用しとても良く合っていて、感動的でした。
更に渡辺さんの作品は、医王寺の雰囲気にぴったりあっていました。
自然界の歴史ある森の絵と医王寺の歴史ある建物。
どちらも歴史を少しずつ刻んでいる様子が、見る者に何か大切な物を伝えてくれているようで心に響きます。
とても素晴らしい数々の作品でした。
そもそも講堂とは...
お坊さんが仏教の教えを勉強するための建物で、学校の教室のような役割があります。
(医王寺Q &Aより)
アートフェスティバルの期間中、新たな学びの場となりました。
講堂を後にして外に出ると、大きな木を見つけました。
▲楠(くすのき)です。
あの人気ジブリアニメ"トトロ"が住んでいる木です。
トトロに出てくる楠と同じ形ですね。
近くに行って見てみると、樹齢にびっくりしました。
楠とは、
古くから寺や神社の境内にもよく植えられていて、ご神木として人々の信仰の対象とされているそうです。(Wikipediaより一部引用)
お寺に植えられる事が多いのですね。
飛鳥時代には仏像の材になったようです。
医王寺には古くからある木が他にも数本ありました。
▲こちらは榧木(かやのき)です。
この木の樹齢は...
なんと1,000年!
医王寺のどの建物よりも古くからここに存在しているんですね。
▲医王寺の建物の年表を書いてみましたが、遥か昔からこの榧木は医王寺を見守っていたのですね。
医王寺にはあと2本、この榧木同様の樹齢の木があります。
ぜひ、医王寺に来た際に見つけてみて下さい。
ご住職に医王寺の境内地3万坪(東京ドーム2つ分)の中を歩きながらご説明していただきましたが、
まだ知らない場所がたくさんありそうです。
▲医王寺の建物を絵に描いてみました。
ご住職のお人柄により、医王寺のこと以外にも文字の由来など興味深いお話もたくさん聞くことができました。
昔からの事もたくさん教えていただきましたが、ご住職の素晴らしいところはお寺という少し閉鎖的な場所に新しい風を吹かせていることです。
今回のアートフェスティバルもそうですが、婚活イベントも行われているようで、地域とお寺を繋ぐ開かれた取り組みをされています。
そのおかげで私も今回、医王寺のことを知ることができました。
地域との関わりが深い医王寺なので、必ずまた来ることができる予感がしています。
最後に。
医王寺の粟野夢咲くアートフェスティバル、いかがでしたか?
今回、私はどちらも初めての経験でした。
一度にたくさんのことを知り吸収したとても学びある2週間でした。
いつまでもアートフェスティバルが続いてほしい、そんな風に強く思いました。
来年は是非ともアートフェスティバルの田中先生に密着取材できたらなと思いました。
これからも鹿沼の素晴らしい場所やイベントについて発信し続けていきたいと強く思っています。
▲黒子松屋さんのフェスティバル限定お饅頭と
末広製菓さんのローズクッキーを添えて
▲医王寺にてアートフェスティバル中の地元のお店のお菓子販売
それでは、また!
ライター mari.mari