日吉神社本殿 附 棟札
名称 および員数
日吉神社本殿 附 棟札(1棟・7札)
(ひよしじんじゃほんでん つけたり むなふだ)
基本情報
江戸時代(延宝3年)
指定
鹿沼市指定有形文化財(建造物)
指定年月日:平成30年6月28日
所在地・アクセス
鹿沼市下南摩町861
リーバス口粟野線「下南摩」下車
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所有者
宗教法人 日吉神社
成り立ち・見所
延宝(えんぽう)3年(1675)建造の一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり) 柿葺(こけらぶき)で、建物全体が弁柄塗(べんがらぬり)、彫刻など要所には彩色が施されています。建物規模は、桁行・梁間(けたゆき・はりま)とも7尺(2.1m)で、棟札に記載の規模が保たれています。基礎は花崗岩切石の基壇にたち、向拝(こうはい)柱を身舎(もや)柱通りに建て、正面と両側面の三方に跳(はね)高欄つきの 切目縁をまわし、側面後方には脇障子を設けています。身舎正面には両開きの桟唐戸を備え、ほか三面は横板壁とします。向拝柱は几帳面(きちょうめん)取りの方柱とし、正面に浜床(はまゆか)から木階段五級を設けています。
身舎柱は円柱とし、柱上に和様出三斗(わようでみつど)を置き、中備(なかぞなえ)は蟇股(かえるまた)とします。妻飾りは豕扠首(いのこさす)とし、破風は眉欠きを付け、猪目(いのめ)懸魚を飾ります。向拝は身舎と海老虹梁を渡し、柱上を獅子・象木鼻、虹梁上の龍、手挟(たばさみ)の雲彫刻により飾ります。
本殿内には、本殿の再建・修復にかかる棟札が7札保管され、この内容から現在の社殿は、延宝3年(1675)に再建され、天明(てんめい)元年(1781)に左右木鼻、向拝龍、左右脇障子、左右方立(ただし脇障子と方立彫刻は盗難により紛失)が追加されたことがわかります。彫師は、磯部千治秀重(三代儀左衛門信秀)とその弟、幸重(四代儀左衛門信秀・号凡龍斎)で、彫刻裏面の年号・行年銘から、磯部氏彫刻の年代特定資料ともなっています。
本殿は、身舎部分に旧材を残しながら、修復を重ねたことから、延宝期、天明期の部材がよく残り、各時代の形状を今日までよく伝えています。
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- 日吉神社棟札一覧
No. | 棟札名 | 奉納年 | 西暦 | 神官名 | その他 |
1 | 奉再造立山王大権現宮七尺四面也 | 延宝三年四月十五日 | 1675 | 遷宮祭神主小薬監物吉春 | 寄進者 阿部対馬守内目代、三浦越中守内目代 |
2 | 奉修復山王大権現宮七尺四面也 | 元禄十三年十二月二十六日 | 1700 | 遷宮祭神主小薬長太夫友清 | 寄進者 三浦監物内目代 |
3 | 奉彩色山王大権現宮七尺四面也 | 宝永元年七月五日 | 1704 | 遷宮祭神主小薬長太夫友清 | 絵師 狩野仲信 |
4 | 奉修復正一位山王大権現御宮 | 享保三年十一月十五日 | 1718 | 導師藤原氏信清 | 末社 稲荷大明神、八王子権現、聖真子宮 |
5 | 奉修造山王大権現御宮 | 延享三年霜月十七日 | 1746 | 導師神主小薬和泉守藤原信洪 | |
6 | 奉修復正一位山王大権現 | 宝暦八年霜月吉日 | 1758 | 神主小薬兵庫守藤原邦祝 | 巴金紋寄進 |
7 | 奉再興正一位山王大権現 | 天明元年菊月大吉祥日 | 1781 | 神主小薬兵庫守藤原邦祝 | 大工 荒河想左衛門徳顕、彫物師 磯部千治良秀重、木挽 鈴木清七良常富 |